機関誌(交流誌)=「無罪!

No.7 2005.12.10

●「無罪!」第8号

 

検察官の証拠調請求を弾劾する 板垣宏

1・16控訴審初公判に総結集しよう 須賀武敏

韓国・民主労総の労働者大会に参加して 十亀トシ子

労働運動と弾圧〔第二回〕 斉藤弘平

新聞に対して(4) 十亀弘史

最近読んだ本 ー私の昨今ー 福嶋昌男

第一回控訴審の傍聴を(公判日程  1月16日(月)10時開廷 東京高裁)

迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会2・18 集会を開催します

行動スケジュール

冬季一時金カンパと署名のお願い

編集後記

 

検察官の証拠調請求(10月31日付)を弾劾する

 迎賓館・横田爆取弾圧裁判被告団・文責 板垣宏

1、検察官の証拠調請求の無意味さ

 検察官は、10月31日付で、原審で本件両事件と関連性がないとして却下された証拠群を中心とする「証拠調請求書」(控訴審裁判所に取調べを請求する証拠項目を書いたもの)と、それに添付して67点もの書証(証拠の中身に当たる書面)を高裁に提出しました。
 被告・弁護団は、検察官が原審で却下された証拠を再提出し、原審で敗北した主張をほとんどそっくり控訴審でも繰り返えそうとしていることに対し、怒りも新たに@これらの証拠採用を絶対にさせず、第一回公判(06年1月16日)において、検察官証拠請求の却下を勝ち取ること、A16年もの未決勾留という未曾有の人権侵害の上にさらに無駄な控訴審での審理を許すことなく、検察官控訴を早急に棄却させ、無罪判決を確定させるために全力で闘いぬいています。
 被告・弁護団は、証拠内容が添付されて証拠請求がなされたことに対し、「裁判も始まらないうちから証拠が裁判官の目に触れることは予断を形成する。弁護人の意見を聞くまでは見てはならない」との「意見書」(11月10日付)を高裁第三刑事部(中川武隆裁判長)に提出し、さらに、12月の初めに、今次の証拠調請求を全面的に批判した「意見書」を検察官と裁判所に叩き付け、今次証拠請求の違法性と無意味さを徹底して明らかし、これを粉砕することにしています。

2 原審で却下された証拠が中心で、本件と関連性を示すものは一つもない

 今回の証拠調請求は、新規請求である原審甲154号証メモの抹消個所の判読についての「鑑定書」を除くと、そのほとんどが原審で「関連性がない」として却下された「金沢借家、橿原借家、関之沢林道」関係証拠と称されるものの再請求であり、あるいはそれら却下されたものの捜索押収・領置関係及びその福嶋裁判での証言速記録です。本件と関連性を示すものは一つもありません。
 これら3ヵ所からの押収物とされるもの自体が、事件とはまったく関係がないことが明らかな「金沢借家」関係証拠や、事件以後2年ないし7年もたってから発見・押収されたとする「橿原借家・関之沢林道」関係証拠であり、本件と何ら関連性を有していません。
 原審において、検察官の主張の破産性・虚構性が暴露され、原審裁判所ですらそのあまりの荒唐無稽さに「関連性がない」として却下せざるをえなかった証拠群をいまさら再請求したところで、それによって何が証明できるのかということです。全く無駄で不当な請求であり、却下以外にありません。

3 今次検察官証拠調請求の違法性、無意味性

 今次、検察官証拠調請求の違法性、無意味性を要約して述べると、
@ 今次、証拠調請求には、既に原審開始以前に検察官が手持ちであった証拠でありながら原審には提出されず、今回始めて請求された証拠が相当数含まれています。刑訴法第382条の2のBはそうした場合には、原審には証拠請求せずなぜ控訴審において請求するのかについて「やむをえぬ事情」があったとの「疎明資料を添付」しなければならない、と定めています。しかし、検察官は今回これを添付しておらず、刑訴法第382条の2のBに違反していること、
A 各請求証拠は検察官の主張しようとすること(立証目的)と、証拠内容が結びついておらず、全くかけ離れたものであるために、検察官の主張の裏付けや立証には全然ならないものでしかなく、それらを審理しても無意味なこと、
 したがって、このような証拠請求自体無意味であり、取調の必要性など全くないということです。
 まず、メモの訂正や抹消箇所の「判読」に関する「鑑定書」(番号2)について言えば、本件メモ類には本件両事件自体に直接触れた記載は全く存在せず、メモの作成時期・書かれた目的・意図等も不明である上、岩手借家賃借以前に存在していたのか否かも不明です。仮に岩手借家賃借以前に存在していたとしても、誰が保管管理していたか全く不明のままでそれを証明する証拠は全くありません。原判決も「これらのメモ自体を、メモに記載された事柄が実際に存在したという立証に直ちに用いることが許容されるとはいい難い」(同判決書295頁)とメモを証拠とすることが出来ないことをはっきりと認めています。メモの訂正や抹消の仕方が仮にどうであろうと、メモの記載内容の恣意的解釈によって本件との関連性を導き出そうとする方法そのものが無意味です。訂正の仕方・抹消箇所の判読に関する鑑定自体意味がなく、取調の必要性のないものです。
 また、「金沢借家」関係証拠は、@ 単に須賀さん一人が病気療養のために一時期居住していた建物の賃借関係等の証拠群でしかなく、検察官が言う「(十亀さんや板垣を加えた)被告人3名」が金沢借家に「居住」し、「信管製造」等を行なっていたとする主張とは、全くかけ離れたもので、むしろ検察官の主張を否定するものであること、A 金沢借家及び岩手借家の「金属屑」に関する二つの「鑑定書」は、単にそれらが一般的な真鍮やアルミ・鉄であるというだけで、両者の「同一性」を立証できるようなものでは全くないこと、しかも検察官の主張ではその「信管の製造」自体が本件とは関連性のない別の事件に使われた、というものにすぎないのですから、本件の立証とは無縁であり、無関係な証拠でしかないことは明らかです。

4 1・16第一回公判で検察官証拠調請求の却下勝ち取れ!

 以上のように、検察官の「証拠調請求」は立証目的と各証拠の内容が大きく食い違い、それらを審理したところで無意味です。今次の全く無意味、かつ無内容な検察官の証拠請求によって、検察官の控訴には理由がないことがますますはっきりしました。06年1・16第一回公判で検察官証拠調請求の却下を勝ち取り、検察官控訴を粉砕して、完全無罪を勝ち取りましょう。

 

一・一六控訴審初公判に総結集しよう

須賀武敏

 いよいよ来年一月一六日、控訴審第一回公判を迎えます。検察官は一〇月三一日、裁判所に六七点にわたる証拠調べ請求を提出してきました。目新しいものはなにもありません。一審で裁判所が本件両事件と関連性がないと採用を却下したものがほとんどです。まったく不当です。
 検察側の狙いは福嶋さんをなんとしても有罪にし、その反動をも梃子に控訴審逆転有罪を引き出そうというものです。この策動を決して過小評価するわけにはきません。それゆえ、控訴審勝利と福嶋さん無罪戦取は文字通り一体的たたかいです。一二月二七日には裁判所との折衝が設定されています。ここまでの検察―裁判所との攻防が控訴審の行方を決定づけてしまうといっても決して過言ではありません。被告・弁護団は現在全力をあげた前哨戦をたたかいぬいています。
 完全無罪をかちとる会としては、一・一六公判に全力で総結集するとともに、一二月一九日に裁判所前で、「本件との関連性がない証拠を直ちに却下し、無実の三人を被告席から解放せよ!」と訴える街宣をおこないたいと思います。(一一時三〇分から) まさに、控訴審での最大の攻防戦は「被告とも、本件両事件とも全く関連性がないことが、一〇〇%明らかになっている検察官請求証拠を、裁判所に絶対採用させない」、この一点にかかっています。  一審での一六年におよぶ戦いは、「第一回公判の最初から最後の判決公判まで、無実の私たち三人には、本件両事件にかかわる『証拠』など絶対に存在しない。だから仮に、検察官請求証拠をその立証趣旨通り認められたとしても、本件両事件の要証事実を証明することなど絶対にできない。関連性のない無駄な証拠調べなどただちに止めて無罪判決を出せ」との裁判所に対する必死の戦いでした。そして、十万人保釈署名運動の力で一審で無罪判決をかちとったのです。
 この一九年間に築き上げた運動の大衆的力の一切合財を賭けて、「控訴審第一回公判で、検察官請求証拠の全面却下」を絶対勝ち取っていきたい。
 なにとぞ、みなさんの熱きご支援よろしくお願い致します。
 一・一六控訴審公判を高裁を揺るがす大闘争にしましょう。
 三・三福嶋判決公判で無罪を戦取しよう。
 加えて二・一八に、完全無罪をかちとる会の主催で集会を行います。集会の大成功をもって四人の無罪を実現していきたいと思います。是非ともご参加ください。
 

韓国・民主労総の労働者大会に参加して

十亀トシ子

 11月11〜14日、韓国・民主労総の労働者大会に参加するために訪韓しました。初めての外国、ソウルへの旅は、魂の根底から揺さぶられるような感動的な4日間でした。三里塚を空港側から見るということも初めてで、心の一部に痛みを感じつつ機上の人となりました。
 ソウルに着いたのは夕方で、街にはネオンが輝き始めた頃でした。サムスン、現代など大企業の高層ビルが林立する光化門通りは、車も人もあふれていました。
 翌12日夜、国会そばの漢江の河川敷にあるラグビー場で日本から行った動労千葉をはじめとする訪韓団と合流、前夜祭に参加しました。演壇一杯に両手を広げた全泰壱(チョンテイル)氏が描かれています。次から次へと登壇する労働者の発言、律動、歌、どれも力強く創意にあふれ生き生きと訴えかけてきます。訪韓団全員が紹介され演壇に上がりました。動労千葉の田中康宏委員長のアピールのあと、全員で『鉄の労働者』の律動を披露しました。あらためて田中委員長が訴えた「日本の労働運動の戦闘的発展を作り出す」ことを心に刻みました。
 河川敷全体にたくさんのテントが並び、さまざまな労組、民衆運動のブースも展開されていました。温かそうな湯気を立てた食べ物が並び、国労団結祭りを数倍、数十倍したような感じです。このテントは、地方から結集している労働者が明日の大会に備えて泊まり込むために民主労総本部が用意したものだそうです。米軍基地拡張反対の村ぐるみの闘いを押し進めている平沢のブースもあり、支援の人々がチラシなどを配っていました。また、メインの演壇の裏側では、市民連帯などのさまざまな社会運動関連の集会も開かれていました。車椅子の「障害者」たちも多数参加していました。日本から来ました、というとパンフレットをプレゼントしてくれました。
 私たちは夜11時には会場を後にして帰路に着いたのですが、前夜祭は夜中2時頃まで行われていたとのことです。しかもこの会場だけでなく、周辺でも産別の前夜祭が開かれていたようです。
 翌日、労働者大会は抜けるような青空のもとで開かれました。ソウル市庁舎前で行われた非正規職労働者の事前集会に参加したあと、隊列を組んで大会会場に向かいました。
 光化門通りはすでに労働者でびっしり埋め尽くされていました。あの8車線の通りを完全に封鎖し、労働者が占拠しているのです。前へ前へと案内され、この日もまた最前列で集会に参加させていただきました。
 とにかくスケールと迫力が、今までに体験したことのないものでした。20メートルを超えるトレーラーが演壇になり、クレーンがスピーカーをつり上げています。そのスピーカーはと言えば、通常のスピーカーを7つか8つ重ね合わせたもので見たこともない形状でした。そして労働歌のファンファーレとともに発言者が登壇し、「トゥジェン!」とこぶしを挙げてからアピールが始まります。そのアピールも長くて5分くらい、そしてまた「トゥジェン」で終わります。日本の集会に対して、日本人はよくあんな長い話を耐えていますね、と民主労総の方々は言いますが、なるほど、ドラマチックな話し方も含めて、参加者の心を鷲づかみにするような集会構成に感心しました。
 労働者大会の開会が宣言され、チャンゴ隊を先頭にして次から次へと労組の旗が入場してきたのは圧巻でした。青空に翻る旗を高々と誇らしげに掲げて行進してくる労働者たちの姿は、今大会に至る過程で起きた副委員長の贈賄による逮捕という苦難を乗り越えてきた大きな力を感じました。非常対策委員長によるゼネスト宣言の時には、5万とも言われている労働者が一瞬シーンと静まりかえり、固唾をのんで方針を聞こうとする緊張感がこちらにも伝わってきました。
 もうひとつ心を打たれたのは、集会の終了後の片づけの早さです。あっという間にトラックが入ってきて、デコレーションなどをどんどん整理していきます。まさに労働者の力を感じるものでした。労働者がいれば何でもできる、これを実感させられました。
 今回の訪韓の中で感じたことは汲めども尽きないものがあります。70年11月13日に自らの身を焼き尽くして労働基準法を守れと叫んだ全泰壱氏の魂が、今も脈々と受け継がれ、韓国労働者階級の原点になっていることを改めて確認しました。35年前、私も全泰壱さんの闘いを、日比谷野音の集会で聞いた記憶があります。以来、本や映画でもその闘いを繰り返し跡づけてきましたが、ついに訪韓して全氏が生み出した巨大な労働者たちと合流できたことに、これ以上ない喜びを感じました。
 

(写真)

動労千葉とともに派遣団が全員で登壇し、律動を披露(前夜祭)
前夜祭会場に並んだ烈士たちの遺影
非常対策委員長がゼネストを宣言した
全泰壱像の前で
腹ごしらえ(左側が筆者)

 

労働運動と弾圧

〔第二回〕 左翼のストライキに権力は何を見たか

斉藤 弘平(元総評オルグ)

 全日建関西生コン支部の武委員長らが不当に逮捕・拘留されて、一年近くもたっています。これは今までの労働運動に対する弾圧のレベルを超える明らかに「戦争をする国」づくりのための攻撃です。日本がアジア侵略戦争を始めようとしていた一九二〇年代後半、共産主義者を自認する労働者たちによって指導されたストライキに対して、どのような弾圧が加えられたのでしょうか。

地域合同労組が破竹の進撃

 一九二五年春、唯一のナショナルセンター総同盟が分裂し、左翼の日本労働組合評議会が誕生しました。評議会は再建過程にあった日本共産党の影響下に、労働戦線を二分する力で「諸闘争を激発」しつつ、結成後一年も経ないで組織人員を二倍以上に増やすほど急速に発展しました。一九二六年初め、評議会本部から卓越したオルガナイザー三田村四朗が東海地方に派遣され、潜行して労働者工作を始めました。
 一月中旬、静岡県浜松市で鈴木織機(自動車メーカー・スズキの前身)に浜松合同労組の支部が結成されました。ただちに争議に突入し、約一ヵ月の攻防の結果、労働者側が勝利しました。この争議は静岡県下において上部組織の指導による初めてのものであり、浜松では組合結成を伴った最初の闘いでした。だから資本家も警察も終始後手に回り、押されっぱなしだったのです。この勝利によって自信と勇気を得た労働者は、浜松合同の旗の下に続々と結集して(この時点で約一五〇〇人)、連戦連勝まさに破竹の進撃を重ねました。そして最後に、この地方最大の企業で世界一の楽器メーカー日本楽器(現・ヤマハ)に闘いを挑んだのです。
 「便所を増やせ/食堂を作れ/賃金明細を示せ」などの要求を提出したところ、会社が評議会との絶縁を頑強に迫ったため、要求提出の五日後の四月二十六日、一三〇〇人の現場労働者全員がストライキに突入しました。一〇五日間に及ぶ大争議の火ぶたが切って落とされたのです。
 ところが、すでにこのとき権力の側は万全の弾圧態勢を敷いていました。要求提出の翌日には県警察部高等課(特高の前身)が現地入りして、会社と対策を協議しています。争議突入と同時に県警察部は「日本楽器争議取締計画」を策定し、例えば「内偵係勤務規定」にもとづいてただちに国鉄浜松駅を中心にした数駅で張り込み、争議団あての手紙や電報・電話の検閲を始めました。十四の班に編成された争議団は工場を包囲するように詰所を設け、学習会や演説の練習などで団結を固めましたが、警察はその場にも「臨監」と称して公然と介入してきたのです。社長の長男が東大生のときから札付の右翼であったので、東京から右翼団体が相次いで押し寄せ、白昼公然と日本刀を振りかざして争議団を襲撃したりしました。そんな行為を警察は見て見ぬ振りをし、彼らと同じ自動車に乗り込んで来ることさえありました。

全市ゼネストをめぐる攻防

 浜松合同は争議支援のため、傘下十四工場で地域ゼネストを闘うことを決めました。しかし、その方針を決める一ヵ月近くも前に警察は憲兵隊や検事局と打ち合せの上、主要工場の代表者を警察署に呼んで対策を協議しているのです。
 全市ゼネストを一週間後に控えた五月二十九日、評議会本部から派遣されていた鍋山貞親らの応援者、浜松合同や争議団の活動分子九十六人が一網打尽に逮捕されてしまいました。これは内務大臣の指示によるもので、彼らは押収文書の中から、後の「三・一五事件」の内偵の端緒をつかみました。これ以降、警察は七人以上の労働者が集合することを厳禁し、劇場主らを警察署に呼んで争議団の演説会場に貸さないよう圧力をかけました。トラックに乗った警官隊が毎日、争議団本部や各班の詰所を巡回し、新顔の応援者や遠州弁でない言葉で話す者を片っ端から検束していきました。

異例の全国一斉大弾圧で争議圧殺

 争議団は逮捕を免れた三田村を中心に態勢を立て直し、完全に非公然のアジトや『争議日報』、「細胞」などの新しい戦術を駆使して頑張りました。しかし七月末、ついにアジトが急襲されて三田村らが逮捕され、続いて評議会の中央・地方の幹部が全国一斉に拘束されてしまいました。他の事件で入獄していた左翼労働運動の第一人者渡辺政之輔も出獄後直ちに検束され、争議解決の翌日にようやく釈放される始末でした。
 この弾圧も内務大臣の指示によるもので、評議会の機能を一時的に停止させることによって、八月七日、一挙に争議は終息させられてしまったのです。たかだか地方の消費財メーカーの一争議に対して、内務大臣の命によって二度にわたる一斉大弾圧(しかも二度目は全国規模)が加えられたことは、何を物語っているのでしょうか。
 アジア侵略によって帝国主義列強間の市場争奪戦に勝ち抜こうとする支配階級にとって、再建途上にある共産党の最大の大衆的基盤である評議会の勢力伸張を阻止することは絶対的命題でした。ところが、弾圧された評議会の幹部たちは、このような敵の意図について、その後数十年を経た時点においてもなお、深刻にとらえていなかったのです。共産党の指導部は再建を急ぐあまり、争議を早く片付けようとあせっていました。現実の労資激突の中に党再建の契機を追求することを放棄した召還主義に陥っていたのです。

 

■新聞に対して(4)

十亀弘史

 

教育において、〈金儲けを目指せ〉などということが課題に挙げられたことはかつてなかったはずです

 

11月22日から27日まで愛媛に行っていました。そこで今回は、愛媛新聞から材料を拾ってみます。11月26日付けの紙面です。
地方新聞には当然それぞれの地方色が出ていて面白いのですが、愛媛新聞の場合は、まずやっぱり俳句ということになりそうです。例えば26日の紙面には、「集まれ俳句キッズ」と題された小学生たちの俳句の投稿欄が設けられています。3年生の作品だと「赤いいもほった手のひらまっ黒け」などと無邪気です。しかし6年生の投句になると「ひゅんときてかたをすくめるそぞろ寒」というように一気に俳句くさくなってきます。
 「そぞろ寒」は漢字で書くと「漫ろ寒」。広辞苑によれば「秋が深まって、それとなく感ずるほどの寒さ」で秋の季語とされています。いまどき相当のご老人でもめったには口にしない言葉です。愛媛の「俳句キッズ」は、えらく爺むさいのか、えらく言葉についての造詣が深いのか。とにかく、愛媛以外で「そぞろ寒」などと呟いている小学生はまずいないのではないでしょうか。

 ×   ×   ×

 とはいえ、愛媛の青少年ならばみんな短冊を腰にぶらさげて晩秋の風に「かたをすくめ」たりしているわけではありません。同じ日の「ヤング落書き帳」という高校生世代の若者の投稿欄には「願い−NO WAR−」と題された17才の少女の反戦詩が載せられています。その前半を紹介してみます。「テレビをつけると今日も聞こえる/痛み悲しむ子供の声や/人間が人を殺す音//『かわいそうに、日本でよかった』//まるで他人事のように言う人がいる/『日本でよかった』?/本当に?/(中略)//『それは違うよ』//私達の未来にはもはや/『平和』は保障されていない/もう他人事ではないかもしれない」。
 詩は、「人は何を学んだのだろう?/もう二度と悲惨な過去を繰り返さないと/誓ったはずではなかったのか?」と続き、「私は今日も願う/(中略)/誰もが共に手をとって/誰もが共に平和を愛し/一緒に歩める日が来ることを」と結ばれています。結びは、反戦というには弱くあいまいで、行動を喚起する力と方向性を持ちません。しかし、戦争が日本の若者たちにとって「もう他人事ではない」ととらえる感性は、人々に今もっとも求められている大事な歴史的感性です。「人間が人を殺す音」という表現も、大規模な機械的な殺戮を想像させて迫力があります。愛媛の若者たちもすてたものではありません。

 ×   ×   ×

 ただ、26日の紙面で私に一番深刻な印象を残したのは次の記事です。これは愛媛だけの事象を報告したものではありません。少し長くなりますが、「取材最前線」というタイトルのその署名記事の一部を引用します。
 「先日、戦後六十年企画『平和のかたち』の取材で愛媛大の研究室を訪れたときのこと。取材先の助教授に『この雑誌をみてごらん』と差し出されたのは小学生向け学年別学習雑誌の十一月号。特集は『小6から始めるお金入門』。招き猫を描いた表紙に一瞬絶句した。/中身もすさまじい。東京・六本木ヒルズに居を構える企業家宅に児童が訪問し、お金持ちになる秘訣を学ぶ。お笑いタレントに『お金があれば何をしたい』と尋ね、『ガウンを着て美女をはべらせる』などと答えさせる。たとえ一部でも真剣に読む小学生がいるかと思うと、言いようのない気持ちに襲われる」。
いわゆる「戦後民主主義」のうさんくささ(ブルジョア性)については改めて指摘しませんが、少なくともそこでの教育において、〈金儲けを目指せ〉などということが課題に挙げられたことはかつてなかったはずです。教育雑誌と教室での授業は別物だとしても、雑誌は授業に寄り添う内容で編集されていると思います。
 拝金主義教育の横行は、親子で参加する「投資教育セミナー」の出現などにもはっきりと表れています。それは、人と人との間の共感や連帯を断ち切り、子どもたちを無惨な競争に駆り立てて、狭く虚無的な個人主義を育てる教育に外なりません。記事を目にして私も「言いようのない気持ちに襲われ」ました。
 もちろん記者はその風潮を批判しています。前記の「戦後六十年企画」について、「そんな(お金だけの)社会に疑問を向け、時代を検証でき」る企画にしたい、と書いています。そういえば、愛媛新聞には昨年、「在日」という企画記事が連載され、その年の新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞しています。賞の選考委員は、その記事(後に『在日』として一冊の本にまとめられ愛媛新聞社から出版。1,333円)について「在日の体内にある心の痛みをとらえ、対立、戦争の虚しさ、悲惨さを表現し、特に在日を『鏡』として拉致問題で揺れる日本社会の不条理が問題提起されている。国家が個人にいかに残酷か、国家とは何かを考えさせる」、と評しています。
 愛媛新聞の骨のある記者にはさらにがんばってほしいと思います。 (12月1日)

 

最近読んだ本 − 私の昨今 −

福嶋昌男

はじめに

 私は今、裁判闘争を闘っています。9月20日、最終弁論公判を闘いました。
 昨年、11月22日の保釈以来ずーと「療養生活」とその闘いにある中で、とても良い本に出会いました。その本(以後本書という)とは、『崩れ落ちる戦後民主主義をこえるもの』−ある反戦教師20年の闘いの軌跡− 中込道夫編著 創樹社(2100円)です。
 本書はB6判、254頁、1991年11月刊です。編著者の中込道夫氏は執筆時、足利工業大学の教授−近現代史専門の政治学者−でしたが、すでに他界されたとのことです。「ある反戦教師」とは、現在前橋市の天台宗のお寺で住職をしている青柳晃玄氏です。ちなみに、当時在職した上武一高は廃校になっていますが、大学は存続しています。
 青柳氏に関しては東京拘置所に居たとき、年賀状をいただいたことや、『星野再審ニュース』で名前を知っていました。
 9月20日に最終弁論の公判が終わり、10月5日たまたま自宅の茶ダンスの引き出しをあけて本書を手にしました。私は、本書を一気に読みその闘いに感動しました。
 去る10月8日、群馬県民会館において「10・8動労千葉講演集会」があり、集会に青柳晃玄氏が来られました。その姿を見て、以前私の公判に傍聴に来られていたのがわかりました。また、保釈後ちょっとお会いしたこともありましたが、今度はじめてゆっくり会話することができました。
 今年、暑中見舞いを頂き「一度お出かけください」といって下さり、また集会場で「来てみてください」と声をかけて下さいましたので、さっそく翌日の午後に伺いました。
 本書を持って行きましたので、私の感想を話し、また私自身の自己変革の過程などを述べました。

一 青柳氏は本書のポイントが71年11月19日「沖縄返還協定批准阻止」闘争・日比谷集会への参加−不当逮捕−不当処分撤回闘争にあり、沖縄闘争・天皇制問題が全体を貫いていることを述べられたと思います。
 青柳氏の民事裁判は地位保全仮処分裁判(一審・二審)と本訴(一審から最高裁まで)の二つの裁判、計五つの裁判闘争(約18年)がありました。
 青柳氏との話に花が咲きました。私は日本帝国主義の「日の丸・君が代」強制・教育基本法改悪・改憲攻撃の今だからこそ、本書は闘いの指針になると思いました。そこで『無罪!』に本書の感想文を投稿し、本書を紹介したいと思いました。
 青柳晃玄氏が本書のあとがきで、−今、改めて、反戦を誓う−を書いています。「私は二十年前、沖縄とアジア人民への血債を賭けて、『沖縄闘争』=反戦闘争に起ち上がった。この血債は、例えば日本帝国主義を打ち倒すまで戦争責任を、その元凶を断ち切るまで続けられる闘いであります」と述べ、「そして私にとっては本書こそが、私の首を切った者たちへの根底からの告発論告の書であり、『五たび』にわたって、しかも根拠も理由も不条理理不尽な『却下判決』を行った司法権力の誤りを正す本当の判決文であります」と明らかにしています。

二 青柳闘争とは何か

1 本書は冒頭において、「青柳闘争は、一教師の解雇を契機に、戦後日本の在り方そのものを問い直すものとして歩んできた」(10頁)と述べています。そして、その青柳闘争の中身は、
 「青柳晃玄・青柳闘争(上武一高による不当解雇撤回闘争)の軌跡は戦後日本が歩んできた道そのものとも言える。そして、それは『沖縄問題』(安保・沖縄問題)として凝縮して表現されている、という側面をもつ」(10頁)のです。
 つまり、青柳闘争は上武一高の「韓国人留学生問題」と1970年の「入管令」、それをめぐる華僑青年闘争委員会の「加害者としての日本人」の告発によって問われ、闘われているのです。本書は、
 「青柳は、抑圧民族としての日本の民衆と、被抑圧民族であるアジアのひとびととの真の信頼と連帯は、日本政府のアジア再侵略政治に対して、『日本の民衆自身がたたかい』、阻んでいく中でこそ、育っていくのだという真理に到達する」(15頁)と述べています。この青柳闘争の闘いの質こそが「問題意識が沖縄を軸にした求心運動をはじめていく」(同)革命的内容と言えるのです。
2 青柳氏の闘いの発端とその展開
 青柳氏は1971年11月19日、「沖縄返還協定批准阻止」闘争の日比谷集会に参加しました。警察権力は日比谷集会に参加し、闘っていた全員を不当に逮捕するのです。
 青柳氏は、権力の不当な逮捕弾圧と23日間の取り調べを完黙・非転向で闘い抜き勝利します。そして12月13日には登校し、授業を始めたのです。学校当局の「自宅待機命令」を拒否しての登校・授業でした。本書は「青柳氏の考え方は『登校することが闘争である』」(53頁)と青柳氏の革命的立場を明らかにしています。
 私は本書を読み・学んでいて、青柳闘争の革命的立場は不当弾圧を跳ね返して、学校当局のいわゆる「自宅静養」の「勧告」を拒否して登校したことにある、と感じました。そしてこの革命的立場があってこそ、青柳氏は、「ある反戦教師20年の闘いの軌跡」を貫き、そして今日まで貫徹されているのです。
 本書は、青柳闘争の不当処分撤回闘争とその法廷闘争は、
 (1)処分撤回闘争そのものとしての青柳闘争
 (2)法廷闘争の論理形成としての青柳闘争
 (3)反権力政治闘争へのかかわりとしての青柳闘争−運動論
の三つを柱としていると明らかにしています。また、処分撤回闘争−法廷闘争を次の三つに分けています。
第一期 71年11月19日〜72年5月
 沖縄闘争への参加と不当処分に対する激しい就労闘争。学校当局は72年1月25日から4月30日まで停職命令を行います。実力就労闘争への闘いの中で、学校当局は2月3日懲戒免職をかけてきました。
 この過程を、本書は「市民的論理にしがみついている上武一高労働組合(日共系)が公然として青柳晃玄に敵対してくる」(54頁)過程であると明らかにします。
 上武一高はかつてレッド・パージを受けた教師を中心につくられた学校で、そのレッドパージを受けた三俣貞雄らが青柳闘争に敵対してくる過程を明らかにしています。
 学校当局は当初「村」の論理で「仲間うちだけの自宅待機命令」をおこなったのですが、青柳氏の革命的闘いに、いわゆる「戦後民主主義」=市民的論理を粉砕され、学校当局−労働組合は公然と敵対するに至るのです。
第二期は72年6月〜75年11月まで
 裁判闘争の開始−裁判長忌避闘争です。「青柳先生を守る会」に150名が結集。
第三期は76年10月〜80年3月まで
 高裁の「和解あっせん」勧告を拒否します。とともに三里塚、沖縄、部落解放闘争等々の諸闘争が闘われました。この諸闘争は「天皇制権力の収奪と差別的暴力支配に直接かかわる闘争であり、革命的反撃としての闘争が中心であった」(78頁)のです。

三 安保−沖縄闘争

 本書は第四章において、「戦後体制を問う青柳闘争の意義」−戦後民主主義をこえる視座の確立を−提起しています。
 「青柳問題とは何か。それは第一に、一口で言えば戦後体制に対する人民側の革命的な反撃思想と運動であるといえる。このように考えるとき、それは一地方で起こされた、一高校教師にかかわるクビ切り問題だけではなく、戦後総体の総括的意味をもってくる」(132頁)のです。
 そして、“敗戦”とは何か、が次のように述べられます。
 「日本近代は、対外的にはアジア侵略が天皇制国家の基本的目標であった。従って、日本のアジア侵略戦争がアジア人民の民族解放闘争によって打ち破られたという、日本近代の本質的部分を日本人が主体的に受け留められずに…」(136頁)と提起し、戦後体制とは「天皇制−安保体制と第九条の平和体制との二重構造が、戦後体制の質である。」(138頁)として、青柳闘争の意義は安保・沖縄闘争であることが強調されています。同時に沖縄闘争とは天皇制の問題であることが突き出されています。沖縄の位置と歴史は、薩摩による琉球への侵略と明治政府による「琉球処分」とアジア侵略への拠点化=基地化でした。
 敗戦において、天皇ヒロヒトは卑劣にも自らの延命のために沖縄戦をしかけ、沖縄を米軍に売り渡した。そして、それは安保体制の実体としての沖縄基地群です。沖縄は今日、イラク・中東侵略戦争にとって、なくてはならないものです。
四 真の教師とは何か
 青柳闘争は不当処分撤回闘争と安保・沖縄闘争を問うことをとおして、教育とは何か−真の教師とは何かを問いつめ、主体化する闘いであったといえます。
 青柳氏は声明−生涯かけても“教師不適格”“懲戒解雇”の汚名を晴らす−において「二十年目を迎えた今、教育現場は、ついに『日の丸』『君が代』が義務化され、公々然と天皇制教育が強制されるところまできた。『「君」とは天皇のことだ』と居直るところまで進んできました。まさに今が正念場です」と青柳闘争とは今日でこその闘いであることが訴えられています。
 そして反戦教師(反戦派労働者)は「教師は真理と真実にのみ忠実なのであります。人間の絶対的平等の実現、人間らしい魂の解放こそが、教育の目的であり課題なのであります。教師は子供たちとその未来を絶対に裏切らないのであります。どうか皆さん、共に起って、歴史を逆行させんとする帝国主義の無謀、非道を粉砕しようではありませんか。 1991年4月」
 右の声明の内実は、青柳闘争の非妥協・実力就労闘争・反戦の闘いをとおして血肉化されたものなのです。
 今、日本帝国主義は体制の命運をかけて、改憲攻撃・教育基本法改悪に踏み込んできています。本書はこの日帝の戦争・天皇制・国家主義と革命的に対決する内実を訴えているのです。
 本書はプロローグにおいて「青柳闘争が過去のことではなく、近未来の予見として今に継承されているのです」(27頁)と青柳闘争の意義とその主体化を訴えています。今だからこそ読んでほしいすばらしい本です。
 問い合わせ
 〒379−2115 群馬県前橋市笂井(うつぼい)町1164
TEL 027−266−1378
(なお、本書は半額でおわけするそうです)

 

行動スケジュール公判スケジュール

1月16日 第一回控訴審の傍聴を

   公判日程  1月16日(月)10時開廷 東京高裁
   *須賀さん、十亀さん、板垣さんの控訴審(検察官が控訴)です。法廷をあふれさせる傍聴を呼びかけます。

迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会2・18 集会を開催します

    詳細は決まりしだいお知らせします

 

行動スケジュール行動スケジュール

有楽町街宣

12月17日(土)11時

*12月19日(月)は 11時30分に東京地裁前で宣伝を行います

例会

12月23日(金) 17時30分 (場所は会までお問い合わせください)

 

冬季一時金カンパと署名のお願い 

 先月号で訴えさせていただきましたところ多くの皆さんから、メッセージとともにカンパと署名が届きました。ご協力下さった皆さんに紙面をお借りしてお礼を申します。さらに多くの皆さんのご協力をお願いします。
 署名用紙は8名連記になっておりますが、8名分埋まらなくともかまいません。あなただけの署名でも結構ですので、ぜひ事務局まで送り返していただきたいと思います。1月末日締め切りで受け付けておりますのでご協力下さい。

    郵便振替口座 00170−2−279274 迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会

      送付先 上記住所宛

 

編集後記

 第一回の控訴審まであと一月余りとなりました。東京高裁は、12月27日という年末ギリギリに弁護士と折衝する、と応じましたが、弁護側の意見に耳を傾ける気はないことが明白です。
 検察官による不当な証拠調請求と、それへの書証の添付は、高裁の裁判官に予断を持たせるものであり断じて許せません。一審ですでに排除されたガラクタでデッチ上げを重ねることなど言語道断です。新たな決戦のときと身構え、全力で1月16日の控訴審に向かいましょう。
 韓国の民主労総は時を同じくして、非正規雇用撤廃を掲げたゼネスト闘争に突入しています。韓国の労働者から注がれた連帯の情熱に、私たちも勝利で応えていきたい。トゥジェン!闘争!TK

 

迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会 〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16石田ビル4F 電話・FAX: 03-3591-8224
振り込み先: 0017-2-279274
機関誌(交流誌)=「無罪!」 編集人 事務局 定価200円
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