No.7 2005.12.10 ●「無罪!」第8号 |
第一回控訴審の傍聴を(公判日程 1月16日(月)10時開廷 東京高裁) |
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検察官の証拠調請求(10月31日付)を弾劾する迎賓館・横田爆取弾圧裁判被告団・文責 板垣宏 |
1、検察官の証拠調請求の無意味さ 検察官は、10月31日付で、原審で本件両事件と関連性がないとして却下された証拠群を中心とする「証拠調請求書」(控訴審裁判所に取調べを請求する証拠項目を書いたもの)と、それに添付して67点もの書証(証拠の中身に当たる書面)を高裁に提出しました。 2 原審で却下された証拠が中心で、本件と関連性を示すものは一つもない 今回の証拠調請求は、新規請求である原審甲154号証メモの抹消個所の判読についての「鑑定書」を除くと、そのほとんどが原審で「関連性がない」として却下された「金沢借家、橿原借家、関之沢林道」関係証拠と称されるものの再請求であり、あるいはそれら却下されたものの捜索押収・領置関係及びその福嶋裁判での証言速記録です。本件と関連性を示すものは一つもありません。 3 今次検察官証拠調請求の違法性、無意味性 今次、検察官証拠調請求の違法性、無意味性を要約して述べると、 4 1・16第一回公判で検察官証拠調請求の却下勝ち取れ!以上のように、検察官の「証拠調請求」は立証目的と各証拠の内容が大きく食い違い、それらを審理したところで無意味です。今次の全く無意味、かつ無内容な検察官の証拠請求によって、検察官の控訴には理由がないことがますますはっきりしました。06年1・16第一回公判で検察官証拠調請求の却下を勝ち取り、検察官控訴を粉砕して、完全無罪を勝ち取りましょう。 |
一・一六控訴審初公判に総結集しよう須賀武敏 |
いよいよ来年一月一六日、控訴審第一回公判を迎えます。検察官は一〇月三一日、裁判所に六七点にわたる証拠調べ請求を提出してきました。目新しいものはなにもありません。一審で裁判所が本件両事件と関連性がないと採用を却下したものがほとんどです。まったく不当です。 検察側の狙いは福嶋さんをなんとしても有罪にし、その反動をも梃子に控訴審逆転有罪を引き出そうというものです。この策動を決して過小評価するわけにはきません。それゆえ、控訴審勝利と福嶋さん無罪戦取は文字通り一体的たたかいです。一二月二七日には裁判所との折衝が設定されています。ここまでの検察―裁判所との攻防が控訴審の行方を決定づけてしまうといっても決して過言ではありません。被告・弁護団は現在全力をあげた前哨戦をたたかいぬいています。 完全無罪をかちとる会としては、一・一六公判に全力で総結集するとともに、一二月一九日に裁判所前で、「本件との関連性がない証拠を直ちに却下し、無実の三人を被告席から解放せよ!」と訴える街宣をおこないたいと思います。(一一時三〇分から) まさに、控訴審での最大の攻防戦は「被告とも、本件両事件とも全く関連性がないことが、一〇〇%明らかになっている検察官請求証拠を、裁判所に絶対採用させない」、この一点にかかっています。 一審での一六年におよぶ戦いは、「第一回公判の最初から最後の判決公判まで、無実の私たち三人には、本件両事件にかかわる『証拠』など絶対に存在しない。だから仮に、検察官請求証拠をその立証趣旨通り認められたとしても、本件両事件の要証事実を証明することなど絶対にできない。関連性のない無駄な証拠調べなどただちに止めて無罪判決を出せ」との裁判所に対する必死の戦いでした。そして、十万人保釈署名運動の力で一審で無罪判決をかちとったのです。 この一九年間に築き上げた運動の大衆的力の一切合財を賭けて、「控訴審第一回公判で、検察官請求証拠の全面却下」を絶対勝ち取っていきたい。 なにとぞ、みなさんの熱きご支援よろしくお願い致します。 一・一六控訴審公判を高裁を揺るがす大闘争にしましょう。 三・三福嶋判決公判で無罪を戦取しよう。 加えて二・一八に、完全無罪をかちとる会の主催で集会を行います。集会の大成功をもって四人の無罪を実現していきたいと思います。是非ともご参加ください。 |
韓国・民主労総の労働者大会に参加して十亀トシ子 |
11月11〜14日、韓国・民主労総の労働者大会に参加するために訪韓しました。初めての外国、ソウルへの旅は、魂の根底から揺さぶられるような感動的な4日間でした。三里塚を空港側から見るということも初めてで、心の一部に痛みを感じつつ機上の人となりました。 ソウルに着いたのは夕方で、街にはネオンが輝き始めた頃でした。サムスン、現代など大企業の高層ビルが林立する光化門通りは、車も人もあふれていました。 翌12日夜、国会そばの漢江の河川敷にあるラグビー場で日本から行った動労千葉をはじめとする訪韓団と合流、前夜祭に参加しました。演壇一杯に両手を広げた全泰壱(チョンテイル)氏が描かれています。次から次へと登壇する労働者の発言、律動、歌、どれも力強く創意にあふれ生き生きと訴えかけてきます。訪韓団全員が紹介され演壇に上がりました。動労千葉の田中康宏委員長のアピールのあと、全員で『鉄の労働者』の律動を披露しました。あらためて田中委員長が訴えた「日本の労働運動の戦闘的発展を作り出す」ことを心に刻みました。 河川敷全体にたくさんのテントが並び、さまざまな労組、民衆運動のブースも展開されていました。温かそうな湯気を立てた食べ物が並び、国労団結祭りを数倍、数十倍したような感じです。このテントは、地方から結集している労働者が明日の大会に備えて泊まり込むために民主労総本部が用意したものだそうです。米軍基地拡張反対の村ぐるみの闘いを押し進めている平沢のブースもあり、支援の人々がチラシなどを配っていました。また、メインの演壇の裏側では、市民連帯などのさまざまな社会運動関連の集会も開かれていました。車椅子の「障害者」たちも多数参加していました。日本から来ました、というとパンフレットをプレゼントしてくれました。 私たちは夜11時には会場を後にして帰路に着いたのですが、前夜祭は夜中2時頃まで行われていたとのことです。しかもこの会場だけでなく、周辺でも産別の前夜祭が開かれていたようです。 翌日、労働者大会は抜けるような青空のもとで開かれました。ソウル市庁舎前で行われた非正規職労働者の事前集会に参加したあと、隊列を組んで大会会場に向かいました。 光化門通りはすでに労働者でびっしり埋め尽くされていました。あの8車線の通りを完全に封鎖し、労働者が占拠しているのです。前へ前へと案内され、この日もまた最前列で集会に参加させていただきました。 とにかくスケールと迫力が、今までに体験したことのないものでした。20メートルを超えるトレーラーが演壇になり、クレーンがスピーカーをつり上げています。そのスピーカーはと言えば、通常のスピーカーを7つか8つ重ね合わせたもので見たこともない形状でした。そして労働歌のファンファーレとともに発言者が登壇し、「トゥジェン!」とこぶしを挙げてからアピールが始まります。そのアピールも長くて5分くらい、そしてまた「トゥジェン」で終わります。日本の集会に対して、日本人はよくあんな長い話を耐えていますね、と民主労総の方々は言いますが、なるほど、ドラマチックな話し方も含めて、参加者の心を鷲づかみにするような集会構成に感心しました。 労働者大会の開会が宣言され、チャンゴ隊を先頭にして次から次へと労組の旗が入場してきたのは圧巻でした。青空に翻る旗を高々と誇らしげに掲げて行進してくる労働者たちの姿は、今大会に至る過程で起きた副委員長の贈賄による逮捕という苦難を乗り越えてきた大きな力を感じました。非常対策委員長によるゼネスト宣言の時には、5万とも言われている労働者が一瞬シーンと静まりかえり、固唾をのんで方針を聞こうとする緊張感がこちらにも伝わってきました。 もうひとつ心を打たれたのは、集会の終了後の片づけの早さです。あっという間にトラックが入ってきて、デコレーションなどをどんどん整理していきます。まさに労働者の力を感じるものでした。労働者がいれば何でもできる、これを実感させられました。 今回の訪韓の中で感じたことは汲めども尽きないものがあります。70年11月13日に自らの身を焼き尽くして労働基準法を守れと叫んだ全泰壱氏の魂が、今も脈々と受け継がれ、韓国労働者階級の原点になっていることを改めて確認しました。35年前、私も全泰壱さんの闘いを、日比谷野音の集会で聞いた記憶があります。以来、本や映画でもその闘いを繰り返し跡づけてきましたが、ついに訪韓して全氏が生み出した巨大な労働者たちと合流できたことに、これ以上ない喜びを感じました。 |
(写真) 動労千葉とともに派遣団が全員で登壇し、律動を披露(前夜祭) |
労働運動と弾圧〔第二回〕 左翼のストライキに権力は何を見たか斉藤 弘平(元総評オルグ) |
全日建関西生コン支部の武委員長らが不当に逮捕・拘留されて、一年近くもたっています。これは今までの労働運動に対する弾圧のレベルを超える明らかに「戦争をする国」づくりのための攻撃です。日本がアジア侵略戦争を始めようとしていた一九二〇年代後半、共産主義者を自認する労働者たちによって指導されたストライキに対して、どのような弾圧が加えられたのでしょうか。
地域合同労組が破竹の進撃 一九二五年春、唯一のナショナルセンター総同盟が分裂し、左翼の日本労働組合評議会が誕生しました。評議会は再建過程にあった日本共産党の影響下に、労働戦線を二分する力で「諸闘争を激発」しつつ、結成後一年も経ないで組織人員を二倍以上に増やすほど急速に発展しました。一九二六年初め、評議会本部から卓越したオルガナイザー三田村四朗が東海地方に派遣され、潜行して労働者工作を始めました。 全市ゼネストをめぐる攻防 浜松合同は争議支援のため、傘下十四工場で地域ゼネストを闘うことを決めました。しかし、その方針を決める一ヵ月近くも前に警察は憲兵隊や検事局と打ち合せの上、主要工場の代表者を警察署に呼んで対策を協議しているのです。 異例の全国一斉大弾圧で争議圧殺 争議団は逮捕を免れた三田村を中心に態勢を立て直し、完全に非公然のアジトや『争議日報』、「細胞」などの新しい戦術を駆使して頑張りました。しかし七月末、ついにアジトが急襲されて三田村らが逮捕され、続いて評議会の中央・地方の幹部が全国一斉に拘束されてしまいました。他の事件で入獄していた左翼労働運動の第一人者渡辺政之輔も出獄後直ちに検束され、争議解決の翌日にようやく釈放される始末でした。 |
■新聞に対して(4)十亀弘史 |
教育において、〈金儲けを目指せ〉などということが課題に挙げられたことはかつてなかったはずです |
11月22日から27日まで愛媛に行っていました。そこで今回は、愛媛新聞から材料を拾ってみます。11月26日付けの紙面です。 × × × とはいえ、愛媛の青少年ならばみんな短冊を腰にぶらさげて晩秋の風に「かたをすくめ」たりしているわけではありません。同じ日の「ヤング落書き帳」という高校生世代の若者の投稿欄には「願い−NO WAR−」と題された17才の少女の反戦詩が載せられています。その前半を紹介してみます。「テレビをつけると今日も聞こえる/痛み悲しむ子供の声や/人間が人を殺す音//『かわいそうに、日本でよかった』//まるで他人事のように言う人がいる/『日本でよかった』?/本当に?/(中略)//『それは違うよ』//私達の未来にはもはや/『平和』は保障されていない/もう他人事ではないかもしれない」。 × × × ただ、26日の紙面で私に一番深刻な印象を残したのは次の記事です。これは愛媛だけの事象を報告したものではありません。少し長くなりますが、「取材最前線」というタイトルのその署名記事の一部を引用します。 |
最近読んだ本 − 私の昨今 −福嶋昌男 |
はじめに 私は今、裁判闘争を闘っています。9月20日、最終弁論公判を闘いました。 一 青柳氏は本書のポイントが71年11月19日「沖縄返還協定批准阻止」闘争・日比谷集会への参加−不当逮捕−不当処分撤回闘争にあり、沖縄闘争・天皇制問題が全体を貫いていることを述べられたと思います。 二 青柳闘争とは何か 1 本書は冒頭において、「青柳闘争は、一教師の解雇を契機に、戦後日本の在り方そのものを問い直すものとして歩んできた」(10頁)と述べています。そして、その青柳闘争の中身は、 三 安保−沖縄闘争 本書は第四章において、「戦後体制を問う青柳闘争の意義」−戦後民主主義をこえる視座の確立を−提起しています。 |
公判スケジュール 1月16日 第一回控訴審の傍聴を 公判日程 1月16日(月)10時開廷 東京高裁 |
迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会2・18 集会を開催します詳細は決まりしだいお知らせします |
行動スケジュール 有楽町街宣12月17日(土)11時 *12月19日(月)は 11時30分に東京地裁前で宣伝を行います 例会12月23日(金) 17時30分 (場所は会までお問い合わせください) |
冬季一時金カンパと署名のお願い 先月号で訴えさせていただきましたところ多くの皆さんから、メッセージとともにカンパと署名が届きました。ご協力下さった皆さんに紙面をお借りしてお礼を申します。さらに多くの皆さんのご協力をお願いします。 郵便振替口座 00170−2−279274 迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会 送付先 上記住所宛 |
編集後記 第一回の控訴審まであと一月余りとなりました。東京高裁は、12月27日という年末ギリギリに弁護士と折衝する、と応じましたが、弁護側の意見に耳を傾ける気はないことが明白です。 |
迎賓館・横田裁判の完全無罪をかちとる会 〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16石田ビル4F 電話・FAX: 03-3591-8224 |